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2026年4月2日、ドナルド・トランプ米大統領は1962年通商拡大法第232条に基づき、輸入特許医薬品およびその原材料に対して最大100%の従価税を課す大統領令に署名した。国家安全保障上の脅威を根拠とするこの措置は、米国の医薬品供給チェーンを根本から再編する意図を鮮明にしている。しかしその一方で、ジェネリック医薬品やバイオシミラーの全面免除、MFN(最恵国待遇)薬価合意を締結した企業への0%税率適用、日本・EU・英国など主要貿易相手国との個別協定による軽減措置など、極めて複雑な多層構造を有している。本稿では、ホワイトハウス発表のファクトシートおよび大統領令原文、さらに業界関係者の反応を精査し、この前例のない医薬品関税の全体像を立体的に解き明かす。
1. 第232条関税の法的根拠と商務省調査の結論
今回の関税措置は、通常の通商法上の手段とは異なる、国家安全保障を根拠とする第232条に基づいている。この点は極めて重要だ。2025年4月の「解放の日」(Liberation Day)関税とは法的枠組みが異なり、2026年2月の最高裁判所による緊急権限を用いた関税発動の禁止判決の影響を回避する法的根拠となっている。
商務長官が主導した第232条調査の結果、「特許医薬品およびその関連原薬が、米国の国家安全保障を損なう恐れのある量と状況で輸入されている」と認定された。ホワイトハウスのファクトシートによれば、米国は医薬品の研究開発において世界をリードしているにもかかわらず、完成品の輸入に著しく依存しており、グローバルなサプライチェーンが途絶した場合、国民が生命を救う医薬品にアクセスできなくなるリスクがあるとの分析が示されている。この「安全保障上の脆弱性」こそが、異例とも言える100%という税率の正当化根拠となっている。
2. 100%関税の基本構造──誰が、いつから対象になるのか
大統領令が定める関税の基本税率は100%の従価税であり、対象となるのは「特許医薬品(パテント医薬品)およびその関連原薬成分」だ。ただし、この最高税率がそのまま適用される企業は、MFN薬価合意もオンショアリング契約も結んでおらず、貿易協定を結んでいない国で製造された製品を輸入しているケースに限定される。
発効時期については、二段階の猶予期間が設けられている。大手製薬会社については署名から120日後、小規模メーカーについては180日後に関税が適用開始となる。この段階的な導入は、企業が合意交渉を進めるための「最後の窓」として機能すると同時に、急激な薬価高騰を緩和するバッファーとしても設計されている。
さらに注目すべきは、ホワイトハウスが「強力な監視・執行メカニズム」を設けると明言している点だ。外部監査の実施や、違反企業に対する過去の輸入分も含めた関税引き上げの可能性が示唆されており、単なる「脅し」にとどまらない実効性の確保が図られている。
3. MFN薬価合意とオンショアリング契約による関税免除の仕組み
今回の関税措置の核心は、100%という表面的な数字よりも、その適用除外の設計にある。企業が関税を回避する道筋は主に二つだ。
第一のルートは、保健福祉省(HHS)とのMFN薬価合意と、商務省とのオンショアリング(国内生産移転)契約を同時に締結するケースだ。この場合、関税率は0%に引き下げられる。ただしこの免除には期限が設定されており、2029年1月20日(トランプ大統領の現任期終了日)までの時限措置となっている。MFN合意の内容としては、メディケイド対象薬品の価格を他国の最低価格と同水準に設定すること、TrumpRx(政府の直接患者購入プラットフォーム)への製品提供、一定規模の米国内投資などが含まれるとされる。
第二のルートは、オンショアリング契約のみを商務省と締結するケースだ。米国内で一定の生産を行うことを約束した企業には、20%の関税が課される。100%と比較すれば大幅な軽減だが、依然として無視できないコスト負担となる。
ホワイトハウスは、商務省とHHSがそれぞれオンショアリング契約およびMFN薬価合意を企業と締結するための「経路(pathway)」を提供すると表明しており、今後も合意企業が増加することを見込んでいる。
4. 国別の関税率──日本・EU・スイス・韓国は15%、英国はさらに低率
米国と通商協定を締結している国・地域から輸入される医薬品には、別途定められた軽減税率が適用される。具体的には、欧州連合(EU)、日本、韓国、スイスおよびリヒテンシュタインからの輸入医薬品には15%の関税が上限として適用される。これは、これらの国々が米国と個別に結んだ貿易協定に基づくものであり、今回の大統領令によって上書きされることはない。
この15%という税率について、RBCキャピタル・マーケッツのアナリスト、トラン・フイン氏は「管理可能(manageable)」と評価している。製薬企業の高い利益率を考慮すれば、15%の関税は吸収可能な範囲であり、直ちに薬価転嫁に至る可能性は低いとの見方だ。ただし、原薬(API)の輸入にもこの関税が適用されるため、複数国にまたがるサプライチェーンを持つ企業にとっては、累積的なコスト増が課題となる可能性がある。
英国については、他の貿易協定国よりもさらに低い税率が適用されるとされ、事実上のゼロ関税に近い待遇が与えられている。これは後述する英米間の画期的な医薬品貿易協定に基づくものだ。
5. ジェネリック・バイオシミラー・オーファンドラッグの適用除外
今回の措置で特筆すべきは、ジェネリック医薬品(後発医薬品)、バイオシミラー(バイオ後続品)、およびそれらの原材料が「現時点では」関税の対象外とされている点だ。ロイターの報道によれば、米国で販売される医薬品の90%以上がジェネリックであり、この免除がなければ一般市民の医療費負担が壊滅的に増大する恐れがあった。ただし、この免除は恒久的なものではなく、1年後に再評価されると明記されている。
希少疾病用医薬品(オーファンドラッグ)についても、オーファンドラッグ法(21 U.S.C. §360aa以下)に基づいて指定された全適応症がオーファン指定を受けている薬剤については、関税率が0%に設定されている。さらに、動物用医薬品やその他の特定の専門医薬品についても、貿易協定締結国からの輸入品であるか、あるいは緊急の公衆衛生上の必要性を満たす場合には免除される。
この階層的な免除構造は、「イノベーション推進と国民医療へのアクセス維持を両立させる」というホワイトハウスの政策意図を反映している。特許医薬品に高関税をかけることで製薬企業の米国内生産を促しつつ、日常的に使用されるジェネリック薬品の価格には影響を与えない──という設計思想だ。
6. 英国との画期的な医薬品貿易協定──GDP比薬剤支出を倍増
今回の関税発動と同日の2026年4月2日、英国と米国は医薬品貿易協定の正式な全文に合意した。この協定により、英国は世界で唯一、米国からの医薬品関税を完全に免除される国となった。
この協定の骨子は2025年12月に原則合意として発表されていたが、今回正式に確定した内容によれば、英国政府は新薬への支出をGDP比0.3%から段階的に引き上げ、2028年までに0.35%、2035年までに0.6%にまで倍増させることを約束している。これは事実上、国民保健サービス(NHS)が革新的医薬品に対してより高い価格を支払うことを意味する。
ロバート・F・ケネディ・ジュニア保健福祉長官は「英国との合意は、アメリカ人が他国の患者より多く支払うことを強いるシステムに終止符を打つための大きな一歩だ」と述べた。一方、英国国内では批判も少なくない。ガーディアン紙は「NHSに数十億ポンドの追加コストをもたらす」と報じており、英医学雑誌BMJも、この支出増がNHS予算から賄われることに懸念を示している。
製薬業界の観点からは、英国で製造拠点を持つ企業にとって、対米輸出の競争優位が生まれることになる。AstraZeneca、GSKといった英国に本拠を置く大手は、この協定の直接的な恩恵を受ける立場にある。
7. 大手製薬企業のMFN合意状況──リジェネロンは唯一の「非合意」
トランプ政権は2025年夏、Pfizer、Merck、Eli Lilly、Johnson & Johnson、Bristol Myers Squibb、AbbVieなど17社に書簡を送付し、MFN薬価合意への参加を求めた。その後、2025年末から2026年初頭にかけて、大半の企業が合意に至っている。ホワイトハウスは13社がMFN合意とオンショアリング契約を締結したことを公表した。
2026年1月にはAbbVieとJohnson & Johnsonが相次いで合意に署名し、残る非合意企業はリジェネロン(Regeneron)のみとなった。リジェネロンは4月2日の大統領令署名を受け、「近い将来、政権との合意を発表する見込みだ」との声明を発表しており、事実上全大手が関税回避の道を選択したことになる。
合意企業は集団で約4,000億ドル(約60兆円)の米国内投資を約束しているとされる。これはトランプ大統領の現任期中に支出される計画であり、製造施設の建設、研究開発拠点の拡充、雇用創出などが含まれる。政権側はこれを「関税の脅威が実際の投資につながった成果」として強調している。
8. 中小バイオテック企業への打撃と「MBAA」の抗議
大手製薬企業が合意による関税回避を進める一方、最も大きな打撃を受けるのが中小規模のバイオテック企業だ。2026年2月、Alnylam、BioMarin、Madrigal、Travereなど10社が「Midsized Biotech Alliance of America(MBAA)」を結成し、MFN政策そのものへの異議申し立てを開始した。
MBAAの広報担当アランナ・テメ氏は、今回の100%関税について「不公平な二層構造システムを生み出す」と厳しく批判した。同氏は「MFN価格統制を受け入れた企業にのみ完全免除を与え、少数の特許医薬品に依存する中規模イノベーターに負担を押し付けることで、がん、希少疾患、その他の生命を脅かす疾患における新たなブレークスルーの大部分を担うアメリカのバイオテック企業を弱体化させるリスクがある」と訴えた。
中小バイオテック企業にとってMFN合意の締結が困難な理由は複数ある。市場に投入している製品が1〜2品目しかないため価格引き下げの交渉余地が限られること、米国内に製造施設を新設する財務体力がないこと、そしてそもそも多国間での価格比較が成立しにくいニッチな治療領域の製品が多いことなどが挙げられる。180日の猶予期間が設けられたとはいえ、根本的な構造問題が解決されない限り、これらの企業は100%関税の直撃を受ける可能性が高い。
9. PhRMA・業界アナリストの反応と訴訟リスク
米国研究製薬工業協会(PhRMA)のスティーブン・J・ウブル会長兼CEOは、「最先端医薬品への関税はコストを増大させ、昨年発表された数十億ドル規模の米国内投資を危険にさらしかねない。関税に費やされるすべてのドルは、全米各地のコミュニティに投資できないドルだ」と声明で述べた。さらに「米国で消費される革新的医薬品の3分の2は米国で製造されている」と強調し、国内製造基盤がすでに十分に確立されているとの認識を示した。
一方、RBCキャピタル・マーケッツのトラン・フイン氏は、免除措置の充実を踏まえ「投資家のセンチメントやわれわれの従来の予想と比較して、これはポジティブだ」と評価した。高い利益率、潜在的なカーブアウト(適用除外)、調整のための時間的猶予を考慮すると、セクター全体への脅威は低いとの見方を示している。
ただし、訴訟リスクも無視できない。PhRMAをはじめとする業界団体が法的措置に踏み切る可能性が取り沙汰されており、少なくとも一時的に関税の実施を遅延させる展開もあり得る。第232条の適用範囲を医薬品にまで拡大することの妥当性については、法律専門家の間でも見解が分かれている。
10. 2029年1月20日のサンセット条項──政策の持続性に潜むリスク
今回の関税措置で見落とされがちだが最も重要なのが、MFN合意に基づく0%関税免除が2029年1月20日に失効するというサンセット条項だ。この日付はトランプ大統領の現任期の最終日と一致しており、次期政権の方針次第で政策が根本的に変わる可能性を内包している。
RBCのフイン氏はこの点について鋭い指摘を行っている。「企業は20年規模の設備投資の意思決定を、3年の政策的確実性に基づいて行っている。次期政権が方針を転換した場合、4,000億ドルの投資がストランデッド・コスト(座礁資産)になる。免除が延長されたとしても、新たな譲歩が要求されない保証はなく、恒常的な『2029年問題』が生まれる」と分析した。
この構造的不確実性は、米国内への大規模投資を約束した製薬企業にとって、長期的な経営戦略の策定を複雑にする要因となる。特に、投資回収に10年以上を要する製造施設の建設において、政策の継続性が保証されないことは重大なリスクファクターだ。
11. 今後の展望と日本の製薬業界への影響
日本は米国と15%の関税率で合意しており、100%関税の直接的な適用を回避している。しかし、15%であっても日本の製薬企業の対米輸出戦略に影響を与えることは避けられない。特に、日本で製造した完成品を米国に輸出しているケースでは、利益率の圧迫が懸念される。一方で、日米間のジェネリック医薬品に関しては関税が免除されるため、後発医薬品メーカーへの影響は限定的と見られる。
より広い視点で見れば、トランプ政権が進めるこの医薬品関税政策は、世界の製薬産業の地政学的再編を加速させる可能性がある。米国内への生産移転を促す政策が奏功すれば、各国のサプライチェーン戦略にも波及効果が及ぶだろう。ただし、医薬品の製造には高度な品質管理体制、専門人材、規制対応能力が求められるため、短期間での大規模な生産移転には技術的・制度的な障壁も存在する。
今後の焦点は、120日後の大手企業向け関税の実際の発効、リジェネロンのMFN合意締結の動向、中小バイオテック企業の対応、そして予想される法的挑戦の行方だ。さらに、商務省が進めている個人用防護具、医療消耗品、医療機器・デバイス、ロボティクスなどの関連分野における第232条調査の結果も、医薬品関税の文脈で注視される必要がある。
トランプ政権の医薬品関税政策は、「100%」という衝撃的な数字の裏に、交渉・合意・免除の複雑なメカニズムを内包している。その実質的な影響は、企業規模、製品ポートフォリオ、製造拠点の所在地、そして政権との交渉力によって大きく異なる。この政策が米国の医薬品アクセス、薬価、そしてイノベーション・エコシステムに長期的にどのような影響を与えるかは、今後数年間にわたる最も重要なヘルスケア政策上の論点の一つとなるだろう。

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