今治堀部神社の歴史と魅力|拝志城代「堀部主膳」を祀る愛媛・富田地区の隠れた名社

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愛媛県今治市富田地区にひっそりと佇む「堀部神社(ほりべじんじゃ)」。この小さな神社は、戦国末期から江戸初期にかけて拝志城(はいしじょう)の城代を務め、衰退しつつあった町を救った武将「堀部主膳(ほりべしゅぜん)」を祀る、地域の守護神です。

1. 今治堀部神社の基本情報一覧表

まずは堀部神社の基本データを一覧表でまとめました。所在地や祭神、関連神社など、参拝計画に必要な情報をひと目で確認できます。

項目 内容
神社名 堀部神社(ほりべじんじゃ)
所在地 愛媛県今治市拝志8
座標 東経133度01分47.46秒/北緯34度02分09.05秒
主祭神 堀部主膳(ほりべしゅぜん)(加藤嘉明の家臣・拝志城代)
神格 地域の守護神(人物神)
創建 江戸時代以降(堀部主膳の没後、住民が神格化して創建)
関連神社 美保神社(隣接/祭神:事代主命)
最寄り駅 JR予讃線 伊予富田駅から徒歩約28分
境内構成 鳥居・拝殿・本殿・末社
参拝料 無料(24時間参拝可能)

📍 ポイント:堀部神社は、隣接する美保神社(拝志郷の総氏神)の南東側に鎮座しており、両社をあわせて参拝するのが地元での慣わしです。

2. 祭神「堀部主膳」とは何者か?──町を救った城代の生涯

2-1. 加藤嘉明の家臣としての登場

堀部神社に祀られている堀部主膳は、戦国末期から江戸時代初期にかけて、伊予松山藩の藩祖「加藤嘉明(かとう よしあき)」に仕えた武将です。加藤嘉明は、豊臣秀吉子飼いの七本槍の1人として有名で、後に伊予松山藩・陸奥会津藩初代藩主にもなった重要人物。その家臣として、主膳は拝志城の城代に任命されました。

当時の拝志城は、東の今治城(藤堂高虎の居城)に対抗する形で築かれた加藤家の防衛拠点で、伊予国における戦略的要衝でした。主膳は、慶長9年(1604年)の「拝志騒動」で前任城代であった加藤嘉明の弟・加藤内記(忠明)が責任を取って蟄居した後、新たな城代として着任した人物とされています。

2-2. 「町の救世主」と呼ばれた善政

主膳の就任当時、拝志の町は度重なる戦乱と支配構造の混乱で疲弊し切っていました。主膳は、衰退しつつあった町を立て直すため、以下のような復興政策を次々に打ち出しました。

  1. 地子(じし)の免除:藩主・加藤嘉明に直接願い出て、住民の宅地税・土地使用料を免除させた。
  2. 「ケンド」製造の奨励:穀物をふるい分ける農具「ケンド」の生産を地域産業として振興し、外部への商売として広めた。
  3. 蓑(みの)・笠・箕(み)の製造推奨:日用品の製造を奨励し、住民の行商を支援することで経済を活性化させた。
  4. 水利の整備:田畑を潤すための用水路を整え、農業基盤を再建した。

これらの施策によって、拝志の町は経済的に息を吹き返し、主膳は住民から「町の救世主」として深く敬愛される存在となりました。重税に苦しむ民の声に耳を傾け、生業を起こす手助けを惜しまなかった姿は、武士というよりも近世的な地域経営者に近い存在だったと言えるでしょう。

3. 堀部神社の創建由緒と「神格化」の流れ

3-1. 廃城令と主膳の死後

元和元年(1615年)、徳川幕府は戦乱の時代に終止符を打つために「一国一城令」を全国に布告。これにより、拝志城も廃城が決定しました。さらに寛永12年(1635年)には拝志地域が今治藩の所領となり、その5年後には、拝志城の石垣が今治城の補修用として転用され、城そのものが完全に解体されてしまいます。

城が消え、町としての面影が薄れていく中でも、主膳の善政を懐かしむ声は住民の間で絶えることがありませんでした。やがて住民たちは、彼を地域の守護神として祀ることで、その遺徳を後世に伝えようとしました。

3-2. 神格化と神社創建

こうして、堀部主膳は「人神(ひとがみ)」として神格化され、堀部神社が創建されることになります。創建の正確な年代は記録に残されていませんが、江戸時代の比較的早い段階で建立されたとみられます。これは、日本独特の「徳のある人物を神として祀る」という信仰文化(御霊信仰・人神信仰)の典型例といえる事例です。

「混乱の中でも水利を整え、民の声に耳を傾け、生活の安定に尽力した主膳の治世を懐かしむ声は絶えることなく、やがて人々は地域の守護神として祀るようになりました。」
― 神仏探訪記「堀部神社(今治市・富田地区)」より

4. 関連史実「拝志騒動」──堀部主膳着任の背景

堀部主膳がなぜ拝志城代に任命されたのか、その背景を理解するには「拝志騒動(はいしそうどう)」を知る必要があります。これは慶長9年(1604年)に、今治周辺で領地を分け合っていた藤堂家と加藤家の間で起きた、近世初期の重大な軍事衝突です。

4-1. 騒動の発端

藤堂高虎の養子・藤堂高吉の家臣であった星合忠兵衛が、私怨を抱く同僚太郎兵衛に殺害される事件が発生。太郎兵衛は加藤家領地の拝志郷へ逃亡しました。

4-2. 軍事衝突への激化

藤堂側が追っ手を差し向けるも、加藤側の案内人の裏切りや、藤堂側使者が加藤側役人に槍で殺害されるなど、トラブルが連鎖。藤堂高吉が軍を率いて拝志郷へ進軍し、一触即発の事態となります。

4-3. 幕府裁定とその後

幕府が調停に乗り出し、最終的に藤堂家の主張を支持する裁定を下しました。結果は以下の通りです。

対象 処分内容
加藤家側 拝志城代・加藤忠明(嘉明の弟内記)が剃髪し京都嵯峨東福寺へ出家、首謀者は切腹
藤堂家側 幕府の許可なく軍を動かしたとして、藤堂高吉が大洲・野村で3年間の蟄居

この騒動の結果、加藤忠明の後任として拝志城代に着任したのが、ほかならぬ堀部主膳だったのです。つまり堀部神社は、激動の府中平野の政治状況を背景に誕生した、歴史的記念碑とも言える神社なのです。

5. 隣接する「美保神社」との関係

堀部神社を理解するうえで欠かせないのが、すぐ北西側に隣接する美保神社(みほじんじゃ)の存在です。愛媛県神社庁の公式情報によれば、美保神社は以下のように記録されています。

項目 内容
神社名 美保神社(みほじんじゃ)
主祭神 事代主命(ことしろぬしのみこと)
創立 天正18年(1590年)以前と推考
由緒 伊予国中32社のうちの一社で、拝志郷の総氏神として奉斎
特記事項 元和5年(1619年)、領主・堀部主膳守によって地域が分割され、現在の小区域の氏神として奉斎されるようになった
鎮座地 今治市拝志7番30号
主な祭礼 10月第2日曜日例祭

注目すべきは、美保神社の由緒書に「元和5年に領主堀部主膳守によって地域を分割」と明記されている点です。これは、堀部主膳が拝志郷の領主として地域の行政区画を整備したことを示す重要な史料であり、彼が単なる武将ではなく、地域経営に深く関与した人物であったことの公式記録となっています。

6. 境内の様子と参拝の見どころ

堀部神社の境内は、決して大規模ではありませんが、静謐で凛とした空気が流れる、地元に愛される空間です。境内には次のような構成要素があります。

  • 石造りの鳥居:参道入口にあり、訪問者を迎える
  • 拝殿:参拝の中心となる建物
  • 本殿:堀部主膳の御霊が祀られる
  • 末社:境内社として小規模な祠が併設

⚠️ 参拝マナー:堀部神社は地域の方々が大切に守ってきた小さな神社です。参拝時は静粛を保ち、近隣住民への配慮を忘れずに行いましょう。御朱印の常時授与は行われていないため、訪問前に近隣の美保神社または今治地方観光協会で最新情報を確認することをおすすめします。

6-1. 周辺の関連史跡

堀部神社の参拝とあわせて訪れたい、拝志城関連の史跡が周辺に点在しています。

  1. 拝志城跡(ワールドプラザ周辺):城跡の一部は現在の商業施設の敷地に含まれ、防御施設の堀を転用した水路が残っている
  2. 西方寺の供養塔:堀部主膳の供養塔があり、その名残を偲ぶことができる
  3. 衣干八幡大神社:拝志騒動ゆかりの「衣千山」がある場所

7. アクセス方法と所要時間

出発地 交通手段 所要時間
JR伊予富田駅 徒歩 約28分
JR伊予桜井駅 徒歩 約45分
JR今治駅 徒歩 約55分(バス・タクシー推奨)
今治IC(西瀬戸自動車道) 約15分

公共交通機関を利用する場合は、JR予讃線「伊予富田駅」からのアクセスが最も便利です。駅から東へ向かい、住宅街を抜けると美保神社に至り、その南東隣に堀部神社が鎮座しています。

8. なぜ今、堀部神社を訪れるべきか?

堀部神社は全国的に有名な神社ではありません。しかし、その小さな社には「武力ではなく仁政によって民の心を掴んだ武将」の物語が静かに息づいています。観光地化されていないからこそ味わえる、本物の地域信仰の姿がここにあります。

また、隣接する美保神社、拝志城跡、西方寺の供養塔をあわせて巡れば、戦国末期から江戸初期にかけての伊予国の歴史を立体的に体感できる、絶好の歴史散策ルートとなります。今治タオルやしまなみ海道で有名な今治市の、もう一つの顔──「武将信仰の里」として、ぜひ一度足を運んでみてはいかがでしょうか。

💡 まとめ:堀部神社を訪れる3つの理由
  1. 仁政の武将「堀部主膳」を体感できる希少な人神信仰の場
  2. 拝志騒動という近世初期の重大事件の舞台に立てる
  3. 観光地化されない静かな信仰空間で心を整えられる



📚 引用元・参考資料(5件)

  1. 神仏探訪記「堀部神社(今治市・富田地区)」──堀部主膳の生涯、拝志城の歴史、拝志騒動の詳細、神社創建経緯について参照。
    URL: https://shintobuddhajourney.com/sbj/horibe-shrine-imabari/
  2. 愛媛県神社庁「美保神社」公式情報──隣接する美保神社の祭神・由緒、および堀部主膳守による元和5年の地域分割記録を参照。
    URL: http://ehime-jinjacho.jp/jinja/?p=8360
  3. 狛犬の杜「堀部神社」──堀部神社の正確な座標、境内(鳥居・拝殿・本殿・末社)の構成、美保神社との位置関係について参照。
    URL: http://www.komainu.org/ehime/imabari/MihoHaisi/horibe.html
  4. 今治法人会『今治歴史散歩』(PDF資料)──堀部主膳と拝志城破却、拝志騒動の概要、衣干八幡大神社との関連について参照。
    URL: https://hojinkai.zenkokuhojinkai.or.jp/imabari/files/2024/04/今治歴史35.pdf
  5. 「いざ、城跡へ」拝志城(愛媛県今治市)──拝志城代としての堀部主膳の任命経緯、拝志騒動後の処分内容について参照。
    URL: https://ameblo.jp/dl2451-ce3927/entry-12096228633.html

 

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